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しじみと日本の歴史

しじみ汁や佃煮などの材料として、日本人の食卓に欠かすことのできないしじみ。
そのしじみは、日本ではいつ頃から食べられるようになったのでしょうか?
今回は、しじみの歴史を縄文時代から順に遡ってみましょう。

縄文時代

縄文時代に営まれたと思われるいくつもの貝塚から、しじみの貝殻が出土しています。
しじみは、今から数千年も前の縄文時代から、人々の食生活を支えてきたのです。

蜆ヶ森

富山県富山市北代にある、白鬚神社の境内には、北陸を代表する貝塚である蜆ヶ森があります。
今から6,000~5,000年前くらいのもので、貝塚の約80%がヤマトシジミの貝殻であったことから、その名がつけられました。
ヤマトシジミ以外にも、マシジミやヒメニホンシジミと呼ばれるしじみの貝殻も見つかっています。

小竹貝塚

富山県中央の呉羽丘陵で見つかった小竹貝塚からも、蜆ヶ森とほぼ同時期に築かれたと思われる、ヤマトシジミが大半を占める貝塚が発見されています。

現在、蜆ヶ森と小竹貝塚の付近には、富山湾に流入する神通川が流れています。
長い時を経て地形は変化しているでしょうが、当時もこの辺りで汽水を好むしじみが豊富に獲れたのではないかと思われます。

粟津貝塚

琵琶湖南部にある瀬田川付近の湖底には、4,000~5,000年ほど前のものと思われる粟津貝塚があります。
瀬田川付近では、現在も希少な固有種のしじみが水揚げされていますが、この貝塚は8割近くがそのセタシジミの貝殻で構成されています。

蜆塚遺跡

静岡県浜松市に位置する蜆塚遺跡も、その名の通りほとんどがしじみの貝殻で構成されています。
3,000~4,000年前の縄文時代後期から晩期のものと思われ、約1,000年に渡って築き上げられた貝塚は、最も高いところで1.5mにものぼります。

7世紀後半~8世紀後半頃

今から約1,250年ほど前に編纂された最古の和歌集「万葉集」にも、しじみに関する和歌が登場します。
この和歌ではしじみを「四時美」と表現し、固く閉ざした心をしじみにたとえ、想い人に対する秘めた思いを詠んだものと解釈されています。
日々の思いを綴った和歌に登場するほど、この頃の人々にとってしじみは、とても身近な存在だったようです。

江戸時代

江戸時代に残されたいくつかの書物からは、しじみのもつ効果や、しじみの食べ方について述べられている箇所があります。
また、当時からしじみが庶民の生活に欠かせないものだったことは、江戸の人々の生活の様子からも分かります。

薬学書の記述

中国の明の時代に書かれ、日本では江戸時代に翻訳された「本書綱目」という薬学書には、しじみの健康効果に言及している記述があります。
それは、「しじみは、酒毒、黄疸を治し、目を健康的に保ち、利尿作用があり、脚気や熱などを治す」といった内容です。

食べ物に関する書物

また、江戸中期の「食品国家」という食べ物に関する書物にも、「黄疸や二日酔いを治す、母乳の出をよくする」などと書かれています。
人々は、この頃からしじみがもたらす良い影響に気付き、天然の薬として珍重していたことが分かります。

料理に関する書物

江戸後期の「素人庖丁」という料理の作り方について書かれた書物からも、「むきみは灰気ありて味わろし」という表現が出てきます。
しじみの剥き身からは、灰汁や臭みが出て味が良くないということで、当時は殻ごと売られていたと思われます。

川柳

同じく江戸時代に詠まれた川柳で、「たくさんに 箸が骨折る しじみ汁」という歌があります。
当時の人も、しじみ汁を食べるときには、貝から身を外すのに苦労していたことがうかがえます。

しじみ売り

江戸時代、庶民の家には朝早くから、天秤棒を担いだ納豆売りとしじみ売りがやってきます。
現在の価値に換算すると、殻付きのしじみが一升150円程度で売られていたそうです。
安価に手に入れられるしじみは、江戸の貧しい人々にとっての貴重な栄養源となっていたのではないでしょうか。

しじみと深い関わりをもつ日本の歴史

しじみは数千年もの間、このようにして人々の食生活に役立ってきました。
それと同時に、徐々に健康効果が知られるところとなり、美味しい食材としてだけでなく、栄養の源としても活用されてきたのです。

現在、研究によって裏付けられたしじみの栄養素や効果を知る私たちが、しじみを食べない手はありません。
食生活が不規則になりがちな人も、手軽にとれるしじみエキスやサプリメントを上手に活用しましょう。

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